『トゥルルル……』今日も霊安室の電話が鳴る。
	  「はい、霊安室です。ああ、どうもお疲れ様です。はい、はい、わかりました。
	  それでは早速伺います」
	  「出ました。412号室、加藤様だそうです」舟木が書き留めたメモを見ながら木野に言う。
	  「よし、兼子、頼むぞ」
	  「はい」
  
	  事務所には木野と舟木、それに兼子哲夫(31歳)が待機していた。
	  白衣を着た兼子は舟木を従えて、担架を乗せたストレッチャーを押し、病室へ向かった。
	  今回の亡くなった患者は高齢の女性で、病室に寄り添っていた家族たちも覚悟ができていたらしく、落ち着いていた。
  
	  兼子と舟木はいつもどおり、遺体を丁重にストレッチャーに乗せ、遺族とともに霊安室へと戻ってきた。
	  舟木はすぐに焼香の準備を整え、遺族たちに焼香を促した。
	  全員が焼香を終えると、これもいつもどおり、兼子がそっと近付いて、遺族に声を掛けた。
  
	  「この後、どうされますか?故人様をご自宅に連れて帰られますか?」
	  「はい、そうします」遺族の一人が兼子の方を向いて返事をした。
  
	  「そうですか。それで葬儀社はもうお決まりですか?まだでしたら、私どもでご搬送からご葬儀までお手伝いをさせていただきますが」
	  「いえ、もう頼むところは決まってまして、もうすぐここに来ることになっています」
	  「ああ、そうなんですか……わかりました。じゃあ、ここで待っててください」
	  兼子は急に冷めたたいどになり、とっとと事務所に引っ込んでしまった。
  
	  「どうだった?」事務所に入ってきた兼子に木野が聞く。
	  「だめっすねえ」兼子は椅子にドカッと座り、答えた。
	  「まったく、最近の遺族は準備がいいってゆうか……
事前に葬儀社を決めちゃってることが多いですよねえ。
 まだ本人が生きているうちに。本当、罰当たりな」
	      
	  しかし、それは葬儀社の言い分で、いざというときのために備えは必要であろう。
	  それが葬儀社の言いなりにならないための最善策のひとつでもある。
	  「まあしょうがない、兼子、小遣いくらい頂いておけよ」
	  「そうですね」
	      
	  心付けのことである。病院に迎えに来た葬儀社が、霊安室を任されている葬儀社に手間賃として心づけを渡すことがよくある。
	  無論、その分は後で遺族へ請求する。本来、遺族の意思であるべき心付けが、勝手にやり取りされたり金額が決められていたりするのである。
	  
ほどなくして、遺族から連絡を受けた葬儀社が寝台車で迎えに来た。   
	  「お世話様です。加藤様のお迎えに参りました町屋祭典です」
	  寝台車を止め、降りてきた40代半ばくらいの、ちょっと人のよさそうな男が、霊安室の前で待っていた兼子に声を掛けた。
	  「ああ、どうぞ」兼子は素っ気なく言い放った。
	  
	  葬儀社の男は霊安室に入ると、遺族と挨拶をかわした。
	  そのまま待合所で話し込んでいたが、話が一段落した頃、兼子に近寄って、
	  「もう出発してもよろしいですか?」と聞いた。
	  
	  「ちょっと待って、まだ見送りが来てないから」
	  兼子は見送りの看護婦たちが来るのを待つように言った。
	  
	  「ちょっと」そして葬儀社の男を霊安室から廊下に連れ出した。
	  「あのさあ、遺族からは何ももらってないんだけど、このまま行く気?」
	  兼子はどう見ても年上の相手に対して敬語を全く使わず、そう言った。
	  相手も同業者ということもあり、露骨な心付けの催促だった。
	  
	  「ああ、そうなんですか、失礼しました。私が立て替えておきますので」
	  そう言うと男は一旦その場を離れ、内ポケットから小さな包みを出した。
	  包みにボールペンで表書きをすると、中に3000円を入れ、兼子に差し出した。
	  
	  「はい、それじゃありがたく」
	  兼子はその包みをポケットにしまい、何事もなかったかのように霊安室に入っていった。
	  
	  そのうち、見送りの看護婦がようやくやってきた。
	  遺族は丁重に謝意を告げ、故人の遺体とともに寝台車で病院を出ていった。
	  それを見届けた兼子と舟木は霊安室に戻り、舟木が焼香台を片付けた。
	  兼子は事務所で包みの中を確認して、
	  「何だ、たったの3000円か。あんなに言ってやったのに」相変わらず憎まれ口を叩いていた。
	  
	  
	  >>第5話「魚心あれば水心」へ続く